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ジャニスの祈り

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CBSA82097 CBS・ソニーレコード 400円
A面 ジャニスの祈り(ムーブ・オーバー) MOVE OVER(3:10)
B面 ミー・アンド・ボビー・マギー ME AND BOBBY McGEE(4:28)

演奏 )フル・ティルト・ブギー・バンド Full Tilt Boogie Band

 ジャニス・ジョプリン、彼女は1943年1月19日、テキサス州ポート・アーサでユダヤ系アメリカ人の中産階級の家庭に生まれました。そして、それから27年経過した1970年10月4日夜、ハリウッドのフランクリン・アヴェニューにあるランド・マーク・モーター・ホテルで死体となって発見されました。わずか27年の短い人生でしたが、今になってジャニス・ジョプリンのレコードを耳にし、そして彼女に関する様々な記事を読むと、ジャニスは短い27年という人生の中で、いつも人間性を失わず、自由奔放な生活を送ってきたような気がします。10代の後半で数回家出をしているジャニス、しかしその時のジャニスはまだ精神的に子供であったので、再び両親の元に戻り、ビューモントにあるラマー・ステート・カレッジ・オブ・テクノロジーに通い始めました。しかし、カレッジに入ってから彼女は変わりました。カレッジをドロップ・アウトし、ブルースを歌う女性へと変身したのです。ジャニスは音楽というものの中から、純粋に自分を見い出し、人間としても大きく成長したのです。
 
 丁度その頃、ジャニス・ジョプリンはサンフランシスコでフォーク・ブルースを歌っていましたが、そこをチェット・ヘルムスに見い出され、偉大な女性シャウターとして各方面から脚光を浴びるキッカケをつかんでいます。ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのリード・ヴォーカリストとして歌うようになったジャニスですが、あまりにも多くの人々に、ジャニスがバック・バンドをしたがえてソロ・シンガーとして歌う姿を印象付けてしまいました。事実、当時の音楽誌他、ニューズ・ウィーク誌、タイム誌等のビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーの特集記事を読みますと、そこにはジャニス・ジョプリンの姿が大きくエポックされていて、それはジャニスの特集と言った方がいい、といった扱い方です。それだけ、ジャニス・ジョプリンは派手な存在だったのですが、それは彼女の天性のようなものだったのかもしれません。ジャニス・ジョプリンの人生は、常にトライの連続であったとも言えるでしょう。又、マリファナ、ヘロイン、コカイン、そしてアルコールと、ジャニスは刺激物を常に服用していました。それはトライの連続であった苦闘の生活の中から生じてきたものかもしれませんが、彼女の死因はそれらの摂りすぎであったことは言うに及びません。

★ジャニスの祈り(ムーブ・オーバー)
 「KOZMIC BLUES」でもジャニス・ジョプリンは強力なシャウターぶりを発揮していましたが、それ以上に深い音楽性を感じさせるのが、彼女の遺作ともいうべきニュー・アルバム「PEARL」です。このナンバーは、その「PEARL」からのカッティング・ナンバーで、ジャニスの心から叫ぶパワフルなヴォーカルに、自然とジャニスの世界へと足を踏み入れてしまいます。

★ミー・アンド・ボビー・マギージャニスの祈り_b0100078_20203854.jpg
 クリス・クリストファーソン作のロジャー・ミラーのヒット・チューンとして有名なこのナンバーを、アコースティック・ギターをフィーチュアしたシンプルなアレンジで聞かせます。(このアコースティック・ギターはパール=ジャニス自身が担当している、とクレジットされています)アメリカではこちらのナンバーがA面として発売されています。そしてアルバムのレコーディングには、ジャニスのバック・バンドであったフル・ティルト・ブギー・バンド、そして何人かのセッション・マンが参加しています。

by mokki_h | 2006-06-22 20:24 | ジャニス・ジョプリン  

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